八ヶ岳アカデメイア――会員の研究活動

塩谷奈緒子『教室文化と日本語教育――学習者と作る対話の教室と教師の役割』

外国人を対象とした日本語教室活動を,教室外社会との関係性において捉え直し,「教室文化」という新たな視点から「教室文化」を作る教師の役割について考えるとともに,学習者の対話的コミュニケーション能力育成のための教室活動の可能性を探る。

生きる現場としての「教室・教室文化」をめざして

塩谷奈緒子

日本語教師の仕事はしばしば「日本語・日本文化」を教えることだと言われます。しかし,多くの日本語教師にとっての仕事現場/生きる現場であるはずの「教室・教室文化」がこれまで日本語教育の世界で問題にされることはあまりありませんでした。

このような中,本書では,「教室文化」という視点から教室外社会と教室内社会とを捉え直し,教室研究や社会文化的アプローチの知見を援用しつつ,教室とはいかなる場所なのか,また,教室の中で社会を作るということは具体的にいかなることなのか,さらに,教導的な教室文化の協働的な教室文化への作り変えはいかにしてなされ得るか,といった問題について考察しています。

そもそも,私がこの問題に興味を持つようになったのは,今から10年ほど前,アメリカの大学で日本語を教えていたときのことで,そのときの私は漠然と「毎日の教室活動は楽しい。だけど,何かものたりない」と思っていました。今にして思えば,それは,当時の私が自分のそれまでの社会経験から形作っていた自分にとっての「善い」社会(ダイアローグ的で関係的)と,当時の私が実際にクラスで作り出していた教室社会(モノローグ的で個体的)との間のイメージの乖離,および,そこから生じる違和感の問題であったと思いますが,当時の私はそんなことには思いも及ばす,ただひたすら,「どうしたら教室でもっと血の通った相互的な深いコミュニケーションが起こせるのか」ということを真剣に考えていました。

そして,その後,この問題を明らかにすべく大学院に進学した私は,さまざまなクラスを見学,担当する機会に恵まれ,これらのクラスの分析や考察を通し,私にとっての「教室・教室文化」とは,教育目標とする学習者の能力を浮き上がらせるため,同僚の教師や学習者と共に人や物や相互行為を関係的に構成していくことであり,それは,教師と学習者との,教師と(同僚)教師との,さらに,教師(自分)自身との絶え間ない対話過程の集積であり,それら全てのものの「間」に生じる可変的な相互行為現象の総体である,と考えるようになりました。本書では,以上のような考えを理論と実践の両面から示すことを試みています。

そもそも,「教室」という場所をどう考え,どう見るかは,その人がそれまで受けてきた教育や見てきた教室,それまでの人生経験,人生観などによって異なるでしょうし,この問いに対する絶対的に正しい答えは存在しないと思います。しかし,日本語教師は,教室を作り,教室文化を作ることを許され,委ねられている数少ない職業のうちの一つなのであり,教師がよく吟味された(よく対話され,よく考えられた)教育目標や教室観を持ち,それらをもとに教室を展開することは不可欠なことであると考えます。

教室には,結局,教師の世界の見方や切り取り方が反映されるものであり,それは,教師が自分を取り巻く世界をどのように捉え,その中で何を大切なものとして考え,その大事だと思うものを,自分が置かれている環境の中で/自分を取り巻く人との間で,日本語教室という現場においていかに表現し,具現化していくか,という問題であると言えるでしょう。

そして,だからこそ,それぞれの教室は,教室外に開かれ,他者に開かれ,そこから広がる対話を通して,その教育的意味と妥当性が検討されなければならないと思いますし,今回の出版を通して,そうした対話の環や議論の場が更に広がっていくことを希望しています。

(『ルビュ言語文化教育(RLCE)』253号より)

目次

  • はじめに(本書の背景と目的)
  • 第1部 理論編:教導的な教室文化から協働的な教室文化へ
    1. 日本語教育における教室活動
      1. 「学習者の解放」における教室内と教室外
      2. 教室内活動と教師の役割
      3. 教室外活動と教師の役割
      4. 「学習者の解放」の問題点
    2. 教室文化と教室の捉え直し
      1. IRE/IRFとデフォルトとしての教室文化
      2. 教室内と教室外の対置:教室文化の放棄と教室外への接近・模倣
        1. 正統的周辺参加と認知的徒弟制
        2. 「教室外の自然視」により不可視となるもの
      3. 教室内と教室外の並置:教室の再文脈化と対話のコミュニティ
    3. 教室文化の再構築
      1. 教室文化の再定義:媒介(アーティファクト,人,相互行為)という視点
      2. 新たな教室文化の創造:媒介の作り変え
    4. まとめ:協働的な教室活動を目指して
  • 第2部 実践編:対話の教室における教室文化作り
    1. 分析対象と分析方法
      1. クラス構成
      2. クラス目標と活動内容
      3. 分析データの形態
      4. 分析方法と視点
    2. 分析と考察
      1. 分析1 教室文化作り:アーティファクトと人の配置
        1. 分析と考察(1)
          1. 活動のテーマ性:テーマと自分との「関係性」を語る
          2. 授業の公共性と評価:相互自己評価
          3. クラス構成と形態:他クラスとの合同授業・クラス外対話
          4. 活動支援者:サポーターとボランティア
          5. 担当者間の分担と連携:メタ的振り返り授業
          6. 教室外学習者支援:メーリングリストの活用
          7. 後行型学習素材:単語・文型リスト
          8. 教室内媒介物と空間利用
        2. 分析結果(1)
      2. 分析2 教室文化作り:教室内相互行為への関与
        1. 分析と考察(2)
          1. 第1週:「動機」の検討と教室文化作りの始まり
          2. 第2週:学習者間の断片的なやりとりの発生
          3. 第3週:協働的相互行為発生の兆し
          4. 第4週:「対話」の開始
          5. 第5週:「対話」とは何か
          6. 第6週:認知の網目の広がりと学習者間の対話の活性化(1)
          7. 第7週:認知の網目の広がりと学習者間の対話の活性化(2)
          8. 第8週:教室文化の定着と「間」の支援
          9. 第9週:「オリジナリティ」とは何か
          10. 第10週:「結論」検討の始まり
          11. 第11週:対話構造・参加構造・役割構造の重層化(1)
          12. 第12・13週:対話構造・参加構造・役割構造の重層化(2)
        2. 分析結果(2)
      3. まとめ:対話の教室のデザインと活動支援
  • 第3部 結論:教室文化と日本語教育
    1. 日本語教師・学習者と教室文化
      1. 日本語教室の捉え直しと教室文化の再構築
      2. 教室文化論:「教室文化」という視点
      3. 学習者と作る対話の教室と教師の役割
      4. 教師の権力,教室内と教室外,教室で生成される学習者の言語・コミュニケーション・文化能力
    2. 今後の課題と展望
  • 資料,あとがき,関連文献一覧,索引