日本語教育は,成人に対する第2言語教育であり,その対象はすでに自己形成を終えた大人である。したがって,そうした大人を対象とした教育においては,ことばを道具として使えるよう教育することが目的なのではないか。
“学習者の自己変容”などを問題にするのは母語教育で行われるべきことで,日本語教育の目的と異なるのではないか。
ここではことばに対する基本的な考え方の違いがあります。
総合では,ことばはコミュニケーションの道具であると同時に,人間の思考そのものであると考えます。ことばを使って何かを表現するということは,そのことばによって考えることであり,この両者の関係を明確に区分することは不可能という立場をとります。質問のような立場をとると,母語教育は思考の教育,第2言語教育はコミュニケーション方法の教育,ということになりますが,このように両者を区別して扱うこと自体が言語活動の原理に矛盾すると考えるわけです。
従来の日本語教育では疑問のような考え方が一般的であったかもしれません。構造主義に代表されるような,言語を確固とした構造として捉え,その構造の仕組みを理解することが言語学習であるとする立場に立てば,たしかにそういうことになると思われますが,ことばの活動というのは,そうした構造を持つことばを,どのように・何のために運用していくかという人間の思考と分かちがたい関係にあるというのが総合の立場です。母語は「こころ」,第2言語は「かたち」という区別を超えて,どちらも「こころ」と「かたち」を問題にすることが必要であると考えます。
たとえば,ナショナル・アイデンティティやステレオタイプは成人になるにつれて強固なものになる現象ですが,これについてどのように考えていくかが,日本語教育の重要な課題であることは言うまでもないでしょう。したがって,第2言語として日本語教育を受ける成人の学習者にも「自己変容」のチャンスは十分にあり得るわけです。
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