「総合活動型日本語教育」とは何か ― Q&A

2. 学習者のニーズ

Q.

アジア系,とくに中国や韓国からの留学生には,一般的な知識を教えてもらいたいと考えるケースが多い。アンケート調査などを行っても,たくさんの情報が与えられる授業に対して評価が高い。こうした学習者のニーズと総合のクラスの目的・内容との関係で矛盾が生じないか。

A.

さまざまな学習者のニーズに関しては,問題を二つに分けて考えることができます。

一つは,担当者個人の教育観とその実現の問題として,もう一つは組織のカリキュラムの問題としてです。第一の担当者個人の教育観とその実現の問題ですが,まず,担当者自身がどのような教育観を持っているかを明確にすべきです。

学習者のニーズがあってそれに合わせて教育方法が存在するならば,担当者の教育観などどうでもいいことになります。たとえば,日本語を学ぶのは日本でお金を稼ぐためなのだから,日本語を使ってお金を稼ぐ手っ取り早い方法を教えてほしいというニーズに日本語教師はどのように答えますか。試験に受かるためというニーズだとしたら,自分の教育観はすべて放棄して○×に答えられる能力だけを養成することにつとめますか。

問題は,担当者自身はどのような教育観を持ち,それを実現するためにどのような実践をしようとしているか,ということなのです。

学習者のニーズは,そういった明確な教育観に基づいた学習プロセスの中で,変化するものではないでしょうか。学習者のニーズは,それまで受けてきた教育の範囲内で生まれてくるものでしかありません。この意味では,学習者にとって学びたいこととは,それまでの経験から学べると学習者が判断したものにすぎないでしょう。だから,担当者が固有の教育観をもって授業を行うなら,学習者が第2言語教育から学べることの範囲は広がっていき,そこで新たなニーズが育まれるということになります。

もし担当者が固有の教育観を持たなければ,何でもいいということになるわけですから,まさにティーチングマシーンとなるしかないでしょう。

学習者のことを中心に,学習者の立場にたって,という日本語教師は大勢いますが,問題なのは担当者自身の立場です。担当者がその言語観,教育観を明確に自覚するところからこの問題ははじまると言えるでしょう。読書にたとえるとしたら,ドストエフスキーを読ませるか,漫画・週刊誌を読ませるか,どちらもそれなりの意義があるでしょうが,担当者が自分のクラスをどのように設置するかはまさに担当者自身の教育観によるわけです。

しかし,所属する組織として,たとえば試験を受けるための制度があり,そのためのカリキュラムになっている,だから,そこに属す教師としては,組織の制度に従うしかないという反論(?)が出てくるでしょう。

これが第2の組織でのカリキュラムの問題です。

試験に受かるための学習が一番よいと考えている教師ならばともかく,そういうことに疑問をもつ場合は,すくなくともカリキュラム上で,いくつかの選択の可能性をつくっていくということです。その上で,実践として成果を示していくことが必要です。

カリキュラム上の選択の可能性があれば,学習者は自らのニーズにしたがって科目を選択するようになり,組織としてのあり方もおのずと明らかになってきます。もちろん,だから常にカリキュラムが理想的な方向に向かうとは断言できません。カリキュラムとは常に流動的なもの,個人の教育観と社会制度の間を揺れ動く船のようなものだと私は考えています。

その船の方向を定めるには,実際に教室を担当する者が情報を共有しつつ合議によって物事を決定していくしかありません。

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